若葉農園のおはなし

現在では、化学肥料・化学農薬を一切使用しないりんご作りを行っていますが、そこにいたるまで実は色々なことがありました。

家業であるりんご作りに疑問を抱く。

当園は、家業として代々りんご農園を営んできました。
現代表の神 茂芳(じん しげよし)の父である神 辰雄(じん たつお)は、りんご市場から「見た目はいいけど、なんだか最近味が落ちてきた」と指摘を受けました。
さらに、1964(昭和39)年、りんご作りに携わってきた姉と妹を、原因不明の病で次々と亡くしたことを機に、「農薬も原因の一つでは…」と、農業の現状に疑問を抱くようになりました。

1971(昭和46)年、農薬を使わないりんご作りに取り組む。

他の畑から農薬の影響を受けないよう高い位置に畑を開墾し、1971(昭和46)年、化学農薬や化学肥料を一切使わないりんご作りに取り組み始めました。
しかし、りんごは非常に繊細で、病気や虫の被害にあいやすい農作物です。
最初の3年は、りんごがまったくできない状態が続き、生活は厳しさを増す一方でした。
周囲の農家からも批判的な声があがりましたが、「自分がやらなければ誰もやれない」と、神 辰雄は農薬を使わないりんご作りを諦めませんでした。

1974(昭和49)年、ついにりんごが実る。

当時は、同じような栽培方法を行っている農家がいなかったため、相談できる人もおらず、一人で試行錯誤を繰り返す日々が続きました。
たった一人での挑戦ではありましたが、堆肥による土壌改良などを地道に続けた結果、4年目の1974(昭和49)年、初めてりんごを実らせることに成功しました。
しかし、最初にできた300ケースのりんごは、小さいうえに見栄えも悪く、市場などではまったく相手にしてもらえませんでした。
りんごをトラックにのせながら、つてをたどってようやく行き着いたのが、首都圏の消費者グループ。
化学物質によるアレルギーや過敏症などの悩みを持ち、安心な食品を求めていた人たちが、見栄えよりも中身に関心を持ってくれたのです。
そして、当園のりんごが消費者グループの間で評判になり、少しずつ周囲にも認知されるようになりました。

幾度の気候変動に対応しながら、今のカタチへ。

年々りんごは大きくなり、ようやく軌道にのったものの、気候変動や台風の影響による病害虫の発生で、ついには枯れてしまうりんごの木も出てきました。
神 辰雄は、これにどう対処すべきかの判断を長男の茂芳に委ねました。
茂芳は、自分たちのりんごを待ってくれている人たちのために、りんごの病気を防ぐ石灰ボルドー液を散布することにを決断しました。
石灰ボルドー液は、土に入るとカルシウム、イオウ、銅に分解される有機JAS法で使用が認めれた有機資材の一つです。
これにより、病害虫から木を守ることに成功し、安定した生産ができるようになりました。

2003(平成15)年、神 辰雄の死後、長男の茂芳が神 辰雄の精神と共に当園を引き継ぎました。
そして、茂芳の後継者として、将来は次女夫婦が農園を継ぐことになります。
今後も「皮ごと安心して食べられるりんご」がみなさまへお届けできるよう、現代表の神 茂芳を中心に挑戦を続けていきます。